私には、子ども時代に決して忘れることのできない一つのシーンがあります。
小学校5年生の時でした。
当時、O君という仲の良い友達がいました。
彼は、4人兄弟の末っ子で、お母さんはリヤカーを引いて、不要物を集める仕事をしていました。
ある時、彼と些細なことで喧嘩になってしまい、家に帰った私は、家族の前でとんでもないことを口にしてしまいました。
「ごみ集めの子供のくせに・・・。」
祖母が
「そんなことをいうもんじゃない。どんな仕事でも尊いもんだ。」
と諭すように言いました。
もちろん、私も、彼のお母さんが頭を手拭いで覆い、汗を流してリアカーを引いている姿を幾度となく見ていましたから、それを低い仕事だとは決して思っていなかったんです。
でも、心の中が彼への許せなさで満たされたときに、心になかった言葉が飛び出してしまったのです。
そのことで、その後、自分自身をかなり責めました。
「職業に貴賤はない。」
「本当は自分の気持ちをわかってほしいだけだったんだ。」
「言いたいことをきっちり伝える方法があったのではないか。」
「相手のことをまずは理解してあげることが大事ではないのか。」
心に反するたった一つの言葉を発したときに自分に返ってきた苦しさ。
成人するまで、そんな思いを、ずっと抱えてきたことを思い出します。
人として、恥ずべき経験をして、今の自分があります。
思い起こせば、それを彼の前で言わなかったことこそ、自分には人が汗水流して働くことが尊いと思っているかを守り通してきたことの証明なのかもしれません。
日焼けしてしわだらけの彼のお母さんの顔
頭に巻かれた白い布巾
小さい体で重そうなリヤカーを引いている姿
私は、本当はすごいと思って見ていたんです。
自分の本当の心に気付けたとき、自分の恥ずべき言動も許せるようになりました。
今では、どんな職業も尊いものであると思うことに揺るぎはありません。
世間では勝ち組とかいっていても、そんなものはマスコミで勝手に評価づけているものでしかありません。
あのお母さんの流していた一筋の汗が、それを私に教えてくれたのです。