あなたが目の前に見るもの
トップ画面のスイレンの花をご覧ください。
あなたが、もしも美しいと感じたなら、その美はあなたの心の中にあります。
動物にはその感覚はありませんし、花に寄って来る昆虫でさえも美しさに惹かれてくるわけではありません。
「外の世界のものを通して、自分の心の世界を体験している。」
そんな、感覚で心を捉えてみましょう。
ある映画が若き日の私に教えてくれたこと
戦争をしている兵士たちは、自らの命を懸けて戦っていますので、戦闘中に花を美しいとは思わないでしょう。
20代のころに見た映画の中に、1930年代のアメリカの作品で「西部戦線異状なし」という有名な映画があります。
舞台は、第一次世界大戦中の西部戦線。若きドイツの志願兵ポールの心の葛藤を描いた作品です。
そのラストシーンで、主人公のポールは、戦闘中に目の前をひらひらと舞う蝶に手を伸ばしたところを敵兵に打たれて亡くなります。
印象的なラストシーン、蝶と差し伸べた手。
蝶を通して、自分の心を見たポール。
同時に、戦闘中の意識から離れたゆえの結果を描いている強烈なラストシーンです。
彼は人としての心を取り戻したという結末が、人々の心を感動させました。
この映画の私なりのテーマとは、「ポールが目の前の蝶に何を見たのか。」です。
私は、彼は蝶を通して、自らの幼い子供心を見たのだと思っています。
と同時に、この映画では、戦争は、人としての心を捨てないとできないことを強く訴えています。
反対に言えば、人の心を保っていれば、戦争は起こりようがないということでもあります。
心が映し出される世界
このことを、私はいつも太陽に例えます。
同じ太陽を見ていても、前者は希望の太陽であり、後者は絶望を感じる太陽です。
私たちは、このように内面を外に映し出して見ているのです。
このことからわかるのは、外にあるものには、何の意味もないということ。
太陽は、ただ燦然と輝き続けているだけ・・・・。
これら「人・もの・こと」には何の意味もありません。
ただ、あるがままに自然に存在しているだけ。
意味づけしているのは、すべて人の心だということです。
私たちは、この地球という場でこの世界に住んでいるという点では、一つの世界と言えるかもしれません。
しかし、人の心が映し出している世界は、人の数だけ存在するのです。
「私が見ている世界とあなたが見ている世界は全く異なるもの。」
というのが、心の世界では原則なのです。
大きな勘違いがもたらす弊害
私たちは、自分の見ている世界こそが正しい世界と思い込み、その中に周りを取り込んでいることがあります。
これは大きな勘違いです。
そんなときに、その世界の法に従わない「人・もの・こと」はいつも裁かれます。
その法を管理するあなたという、あなたの世界の王様によって、厳しい罰則を受けることになります。
すべて、自分の見ている世界が唯一のものだと勘違いして起こる思考です。
この「勘違い」が、あなたという暴君を生み出すのです。
周りを受け入れて生きていくことが幸せへの近道
それでも、自分が正しいと思う方は、自分が行きつくところまで行ったら、きっとすべてが破綻していると思いますので、その後、すべての心をリセットして、悟りを開いてみましょう。
自分の世界観がいったん崩れれば、相手の世界観も見えやすくなります。
それを深める唯一つの方法は、相手の話をひたすら聴いてあげること。
これだけです。
認め、受け入れ、尊重することができれば、人間関係の摩擦は無くなります。
それは、相手の心の映し出す世界観を認めていることになるのです。
周りにいる人は、ただ自然に存在しています。
例え、あなたがどんなに嫌っていても、どんな感情が沸き上がろうとも、どんなに受け入れがたくても、その人の存在を否定することはできません。
賢い生き方は、それを自然と同じようにありのままに存在しているものとして受け入れていくこと。
それは、すなわち、自分自身を受け入れるということでもあるのです。
なぜなら、あなたの心が周りに映し出されているわけですから。
ここに気づいて生きるのと、気づかないまま生きるのでは大違いです。
だから、いつでも、
「人の数だけ、心が作り出す世界がある。」
という視点に立って、周りを見つめることです。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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