次に、交通ルールの話題から決めごとを語ってみようと思います。
私は、30年間以上も自動車に任意保険をかけてきましたが、一度も使ったことがありません。
その支払総額は数百万円以上。
そんな安全運転に自信を持っている私がその壮絶な交通事情に完全にビビったお話。
カンボジアの首都プノンペンの交通事情
朝夕のラッシュ時には、道路は車とバイクで埋め尽くされます。
そのバイクは、ほとんどが日本のホンダ製で、車は多くがトヨタ製です。
でも、運転している人たちは全く別。
残念ながら日本の交通ルールは、全く通用しない社会なんです。
赤信号での素通り。
歩道の二輪車走行。
右折時の敷地内通行。
急な飛び出しに割り込み。
クラクションの鳴らし放題。
高速でのはみ出しの追い越し。
バイクの3人乗り。
時に集団となってやってくる逆走車両。
スマホ電話しながらのバイク運転。
小学生が運転するバイク。
125CC以下のバイクは免許不要。
田舎では、小学生の子どもだってバイクに乗っています。
驚くことかもしれませんが、バイクの6人乗りも見たことがあります。(大人3人、子ども3人)
日本の交通ルールを持ち込んで、正義を主張したところで、そんなもの何の役にも立ちません。
決めごとが通用しない社会
あなたにお尋ねします。
たぶん、日本の交通道徳を持っていたら、上の2つはできないことではないかと思います。
私も、赤信号で進むことに、非常に抵抗がありましたから。
でも、あるとき、その理由がわかりました。
それは、
突然の停電
しかも、よくあるんです。
あちこちの信号機が消えている・・・・。
で、どうするかと周りをみていると、
- ゆっくり交差点に向かう
- 鼻先を少しずつ交差点内に入れる
- 無言のやり取りで優先権を獲得
- 交通の流れができる。
こちらでは、停電時でも交通が流れるように暗黙のルールを守って運転しているということが分かったのです。
こんな生活を送っている間に、私の交通ルールに関する既成概念は、一年しないうちに見事に書き換わりました。
今では、私も平気で赤信号での通過もやりますし、クラクションも平気で鳴らします。
交通ルールが全く違う環境に順応したということ。
郷に入らば郷に従え。
既成概念にこだわり続けていたら、ここでは決して生活できません。
これは、私の交通ルールに関する「~すべき」という決めごとが、緩まったことから気づいたことです。
決めごとは緩めることができる
こうしたことから、わかったことがあります。
決めごとの苦しさは、周りに押し付けた時に生まれる。
自分が守っているものは、他人もそうするべきと思うことから不自由さを生み出していたのです。
はじめは、こんな運転するやつらは許せないと思っていました。
でも、そのうち、この思考を持ち続けることに疲れてきました。
初めの、
なんて交通マナーなんだ。
が、
まあ、T字交差点ではいいかな。
交通車両がないときにもいいでしょ。
お巡りさんも見ていないし。
くらいの思考になっていったのです。
いい加減と思うかもしれません。
でも、決めごとを緩める方が、はるかに楽に生活できるんです。
周りに対して、こんなことを感じたら自分の決めごとに気づくチャンスです。
あなたがそう思うのであって、周りはそうとは限りません。
あなたにとっての普通は、周りにとっての普通にはなりえません。
あなたにとってのみんなは、あなたの周りにいるあなたが選んだ人たちだけです。
「~べき」
「~ねばならない。」
「普通~でしょ。」
「みんな・・・」
こんな言葉がよく出てくる人は、それがご自分の決めごとから来ている思考癖であることを感じてみることです。
きっと、大きな気づきになりますよ。
『認知のスキーム』という言葉があります。
あなたが捉える認知は、あなただけのごく狭い世界のものです。
その枠組みから外れた世界の方がより広くて大きいと考えてみましょう。
自分の世界観から外れたまだ見ぬ世界。
それを得るためには、新しい経験をすること。
行動することにつきます。
そしたら、あなた自身の決めごとは緩まっていくこと、保障します。
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また、心と向き合いながら新しい発見があったときに追記していきます。