不倫に対する考え方の根本的な違い
恋愛に対して寛容的な風土のあるドイツでは、不倫に対しても日本の考え方とは違っているように感じます。
日本の場合には、不倫は社会的な悪と捉えます。
特に、政治家や有名人が対象となれば、マスコミがこぞって騒ぎ立てるでしょう。
それは、欧米でも同じだと思いますが、根本的に違うと感ずることがあるのです。
フランスのサルコジ大統領やドイツのシュレーダー首相も、離婚をしたとき、マスコミがあれこれ騒ぎ立てましたが、それは、攻撃一辺倒ではなく、新しい恋を祝福するような意味合いも込められていました。
実際に、彼らがそのことで失脚したかと言えば、そんなことはありません。
なぜなら、公務と私生活は別物という観念があるからです。
もしも、仮に、日本の総理大臣が、離婚をしたら、国民はきっと許さないのではないかと思います。
こんなことを書き立てられて、国会で辞任を要求されることは明白です。
そう思うと、日本の過剰な倫理観念が恐ろしくもなります。
ドイツ国民は、決して不倫を容認するわけではありませんが、夫婦関係がうまくいってなかったり、別居生活が続いていたりした上での不倫は、自然なことと捉える感覚を持っています。
彼らは、
「別段、不思議ではない。」
「是もなし、非もなし。」
とさらっと受け流します。
恋愛関係は、2人の問題であって、周りが関与することではないという論理が働きます。
これは、いかにもドイツ的ですね。
日本では、不倫のニュースとなると、不貞をしたとパッシングの嵐になり、された方には同情が集まったりします。
反対に、ドイツ人の感覚は、
くらいのものです。
責任の所在は2人にあると考えるからでしょう。
離婚に関しても、同様です。
ドイツでは、離婚率が高いのも、その辺の割り切りがあるからでしょう。
離婚に対して、決して暗いイメージはありません。
先に、日本の同棲に暗いイメージがあると申し上げたのは、私たちの社会的倫理に対する心の投影だと思っています。
不倫へのマスコミたたきは、マスコミに責任があるのではなく、我々の心の中に、「不倫は悪。」だと決めつけている観念があるからです。
我々の心の中に、それがある限りは、今後も不倫たたきがなくなることはないと断言します。
先日、秋田カウンセラーが、ブログにて不倫に関する記事を書いていますのでお読みください。不倫はプライベートなことだよねと論じていらっしゃる点に注目です。
幸せな恋愛を実現するために・・・
もしも、あなたが相手に何らかの条件付けをしてるようなら、まずは、それに気づいてください。
相手の真実を見抜けないまま結婚すれば、必ず後悔するときがやって来ます。
お互いに相手に
一切の条件付けをしない
で自然体で向き合ってみましょう。
社会的な規則
学歴
家族構成
容姿
性格
に一切の要求をしません。
恋愛には、ある種の動物感覚的なフィーリングはあります。
それを感じる上で、お互いに一緒にいたいと思うようであれば、共同生活をするしないに関わらず、お試し期間を設けてみてはいかがでしょう。
もちろん、2人だけのことにしないで、友達にも、家族にも紹介します。
そしたら、周りが応援してくれるかどうかもわかります。
つまり、自分だけでは判断がつかない点を、周りも補完してくれると考えればよいのです。
そして、最終結論を出すのは、親でも友達でもありません。
あなた自身なんです。
あなたが、自分の手で幸せをつかむことを願ってやみません。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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今日もあなたに喜びの一日が訪れますように。
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