心理カウンセラーのプロフィールを見ていると、ご自身のうつの経験を書いてあるケースがあります。
自分自身にもうつ経験があるから、気持ちがよくわかる。
誰よりも心を受け止めてあげられる。
そういうニュアンスが含まれている、クライエント様へのメッセージです。
カウンセラーがうつを経験しているなら、私のこともよくわかってもらえるという安心感をクライエント様に与える効果も狙ってのことかもしれません。
では、本題ですが、うつのクライエント様をカウンセリングするのに、
カウンセラーのうつ経験は必要でしょうか。
私の考えをズバリ言いましょう。
経験はあまり役には立ちません。
いえ、必要条件にならないものだと考えます。
その理由は、ただ一つ。
自分の経験と重ねて話を聞いてしまうから
です。
例えれば、経験を通して話を聞くということは、通常なら透明なガラス越しに見えるものを自己経験という色のフィルターを通して見ることと似ています。
その結果、
クライエントをありのままに捉えるどころか、自分色に染めてしまうことになってしまうわけです。
これは、明らかにカウンセリングで目指すところとは異なります。
私の失敗経験ですが、
私は、30年近く教育現場で働いておりましたので、子どもの心や現場の教師の悩みも実感として理解できますし、話されることが手に取るようにわかります。
でも、実は、この何でもわかってしまう感覚が曲者なんです。
わかるということは、すでに自分の経験という尺度でものを見ているということ。
それゆえ、ご相談を受けるとき、
クライエントの置かれている状況
クライエントが湧き上がる感情
に自己概念がどうしても重なってしまうのです。
私は、教師のカウンセリングを行う時に、一向に理解し得ないクライエント様を目の前にして、ときに自分の言葉の中に自らの価値観が入っていることに気づきました。
まさしく、自分の経験が邪魔していたということ。
私の言葉によって、正解を与えたつもりでいても、クライエント様には全く響かないものなのです。
このように、自分の経験がクライエント様の気づきを奪ってしまうことを実感したときに、経験を役に立てようとしてはいけないと考えるに至ったのです。
誰でも、子ども時代にクイズの答えを一生懸命に考えているときに、周りで答えを言われてがっかりした経験があるかと思います。
経験をたてにして、答えを言ってしまうことは、それと全く同じこと。
そんな経緯から、大切なカウンセリングを後味の悪いものにしないためにも、徹底して自分の価値観を入れこまないカウンセリングができないものかを研究しました。
そして、私がたどり着いた結論は、
自分のピュアな心だけもって、クライエント様の心の中に入り込ませていただく
という感覚です。
白紙の状態で心に入り、クライエント色に染まる。
そこに共感的理解の世界が生まれます。
この時、経験を含めて記憶の中にあるものは切り離して、持ち込まないという感覚が大事です。
この手法で、上から目線になることも、経験を持ち出すことも、ほとんどなくなったように思います。
このようなマインドでクライエント様に向き合えば、
ということは無くなるはずです。
カウンセラーがクライエントに同情したところで、その後に進むべき道を見出すことはできません。
ましてやアドバイスをしまくったところで、自分の答えが見出せるはずもありません。
同情は、自分の経験との重ね合わせです。
上から目線のアドバイスは、経験の押し付けです。
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