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肩書きと人格は別という話

カウンセラー

今回の記事は、宗教に関わる話題です。フラットな心でお読みいただけたら幸いです。

「あなたはどこ大学を出ていますか。」

と聞かれてすぐに答えられますか。

もしも、答えることに躊躇するようなら、あなたの中に何らかの意識がはたらいていることを自覚してください。

 

私の場合には、こんなことがありました。

出身校

ビジネスを扱っている人が自分の個人情報を公開するにあたって、誰もが考えることだと思いますが、私の場合はこれに関して、ずっと抱えていたものがありました。

 

それは、私が、

 

創価大学

 

を卒業していることにあります。

 

特にプロフィールには書いていないのですが、それはある誤解を生みだす恐れがあると思ったからなんです。

 

創価と言えば・・・。

何かを思った方がいると思います。

よく20代の頃に大学名で、周りの人に

「君は創価学会員なの?」

と言われた経験があります。

 

私が学んだ大学は、創立者が池田大作先生。

公明党の支持母体である創価学会の名誉会長です。

 

私は、子どもの頃から創価学会3世の家庭に生を受け、学会では少年部・中等部員として活動してきました。

親がそうであったので、子どもに疑問を持つ余地はなし。

自分もそうすることが当たり前の中で育ちました。

月に一度の座談会に参加し、体験発表を聞く。
勤行をし、お題目をあげる。
総本山大石寺での夏期講習会に参加する。
*静岡県富士市の大石寺は本門のご戒壇が安置されている場所で、そこへ行くと功徳があると言われていました。現在は67代法主日顕上人が創価学会と離反したため、ご戒壇は撤去されています。

 

そんな中で、私が子どもの頃に大きな疑問を持ったことが3つほどあったのです。

その1
多分小学校中学年の頃だったと思います。友達に誘われてカトリックの教会に行きました。教会に入ると、幼い私は、ゴシック調のステンドグラスと聖母マリア像の空間に目を丸くしました。お祈りをした後、帰り際に修道士さんが微笑みながらお菓子をくれました。家に帰って、母親がそのお菓子を見て、私を問い詰めました。正直に話すと、烈火のごとく怒鳴られ、もう二度と行くんじゃないと言われました。
その2
通っていた小学校の前に軍人を祭る神社がありました。その神社の境内を通って毎日校門に向かうのです。境内の入口には大きな鳥居がありました。母親から鳥居をまたぐんじゃないと言われていた私は、6年間一度も鳥居を通らず、脇を通り抜けて学校へ通いました。
その3
初詣という行事があります。私は宗教上の理由から、新年のこの行事に一度も参加したことはありません。新年になると、友達がかばんに新しいお守りをつけているのを見て、自分も欲しいと思っていましたが、それは許されることではありませんでした。寺社とのかかわりを一切禁止されていたからです。初めて神社に入ったのは、なんと教師になってから生徒の歴史学習のために護国神社を訪れた26歳の時でした。

思い起こすと、結構なトラウマに近い感覚がありますね。

こうした子供時代の育ちによって、私は心の中に強い禁止令を持たざるを得なかったのです。

コメント

  1. TatsuhiroTatsuhiro より:

    コメントありがとうございます。仏教の生地は東アジア。日本でいくら宗派の世論を語っても、外から入ってきたものだと言う認識でいます。私自身は、現在どこにも所属しておりません。ただ神仏に対する敬虔な気持ちだけは持っています。不思議ですね。