松下幸之助は、これからの時代は水道の蛇口をひねれば水が出てくるように、暮らしに役立つものをどんどん作るんだとの社の方針を打ち出し、時代の波に乗り、世界的な大企業パナソニックを築きました。
実際、1970年代の日本が高度成長期の時代には、モノが飛ぶように売れました。
当時の人々は、3種の神器と言われたテレビ・冷蔵庫・洗濯機をはじめ、モノを持つことが生活を豊かにすることだと信じて、そのことに疑いをもつことはありませんでした。
1980年代にはディスカウントショップが乱立し、開店時間には長蛇の列ができました。
モノを求め続け、生活が豊かになる実感を味わったのです。
さて、それから数十年を経た2020年。
今、日本の人々が求めているものは何でしょうか。
それは、モノでないことは明らかです。
人々は大抵のものは手に入れ、不自由なく暮らしています。
モノを持つよりも、今や断捨離することがトレンドにさえなっています。
人々はモノに満たされて、初めて気が付いたのです。
モノがあっても、心が満たされないことを。
今の世の中、本当に心が枯渇しています。
人の成功をうらやみ、
人が失敗すると鬼の首を取ったようにネットに書き込む人。
それを興味本位でむさぼるように読む人。
ネットに書き込みされることに不安を感じ、名前も顔出しもできない人。
電車に乗れば我先にと席を奪い合い、電車に乗り込もうとするベビーカーを引いたお母さんを白い目で見る人。
人に会うことを恐れ、家の中に引きこもる人。
誰にも看取られることなく一人で息を引き取る人。
車内で携帯電話を持っただけでとがめられ、一杯のビールを飲んだくらいのことで罪人のように扱われる人。
それを任務だからと執拗に追い回す人。
ハンドルを持つと人が変わったように粗暴になる人。
バスの中で着信音が鳴ることを極度に恐れ、白い目で見られないように周りに気を使って息をひそめる人。
会社に行けば失敗をしないようにひたすら自らを守ろうとする人。
お客さんに迷惑をかけないように低姿勢をつらぬく人。
反対にサービスを求める気持ちが慢心を招き、声高々に横柄なふるまいをする人。
政治家、警察官、教師、運転手、ホテル従業員等、一般の労働者すべてが、自分が責められることを恐れて生きています。
みな不幸だと思いませんか。
人々は、ストレスをため込み、今の世の中に疲弊しきっています。
私は、心が枯渇している社会に豊かな未来がどうしても想像できないのです。
だから若者だけには、規則にがんじがらめに縛られて生きてほしくないと思っています。
次々に作り出される人々を縛る規則。
こんな規則だけに縛られた国をいい国だとは思いたくはありません。
テレビ番組では、外国人向けに、さも日本人が親切でやさしいように描きますが、ほんとうにその通りにできているか疑ってみましょう。
外国人には親切にできるかもしれませんが、知らない日本人同士が仲良く会話する姿をあまり見かけることはありません。
規則は、自動的に人々を善人と悪人に仕分けします。
守れば善人、破れば悪人。
人々をこのように仕切って社会全体が動くことが恐ろしいのです。
誰にも規則という枠組み通りにいかない状況のときがあります。
今の社会に足りないものは、ズバリ言うと人に対する寛容さなんです。
いや、本当は人々は寛容でありたいと思っていると信じます。
それができにくい社会に向かっているということだと思います。
社会に決まりは必要ですが、心は自由でありたいものです。
カウンセラーは、クライエントの心の背景はもちろんのこと、社会が心に及ぼす背景も深く理解している必要があります。
昔は、働けばモノが得られるという価値観がありましたから、多少過重労働をしても頑張ることができました。
でも、モノに囲まれることだけでは幸せになれないことを多くの人々が経験し、そのことに価値を感じなくなりつつある今、そのマインドをチェンジする必要に迫られています。
人々は、心から幸せになることを求めています。
でも、心は目に見えないだけにハードルが高い。
ここにこそ、それを見えるようにしてあげる心理カウンセラーの役目があります。
心の可視化の支援こそ、カウンセラーが行う最大の業務なんです。
幸せになる方程式を教えてあげるのです。
2020年代から10年間は、心が満たされることを人々は求め続けるでしょう。
それは5Gの時代の幕開けと同時に始まります。
心理カウンセラーの責務は、大きいことを再確認しています。