私は、ある一つのプロジェクトを進めるときには、重箱の隅をつつくように大丈夫かどうかを何度も確認します。
一枚の用紙にフローチャートで、行程を書き出してみます。
そして、その主要な流れから外れた場合には、こうする、ああすると想像できるかどうかまでチェックします。
結構、完璧を求めている自分に気づいたりします。
まあ、それを楽しんでやっているんですがね。(笑)
さて、話題を広げましょう。
ある種目で金メダルを目指す選手が何十万人と世界にいると仮定します。
皆、4年間、おのれの身体、技術、精神力を最高潮に高めて、試合当日に臨みます。
その中で金メダルを取る人は、たったの一人。
後の人たちは、完璧を目指したにも関わらず、金メダルに届かなかった。
これを結果だけで解釈すると、金メダルを獲得した一人の完璧主義がよくて、獲得できなかったその他大勢の完璧主義が否定されることになってしまいます。
このことについてどのように解釈しますか。
私は、アスリートたちが完璧を目指すことは間違いでも何でもないと思うのです。
そこに喜びがあるかどうかが問題だと思うのです。
周りの期待も含め、結果はあくまでも結果でしかない。
心は周りに左右されるものではないということなんです。
スキーのジャンプで今ではレジェンドと呼ばれる葛西紀明選手。
1997年冬、ドイツのオーベルストドルフで行われたジャンプ週間の第2戦でまだ20代そこそこの彼に出会いました。
当時は圧倒的に強さを誇っていた船木選手に注目が集まっていました。
結果は、優勝が船木選手、2位に斎藤選手、葛西選手は6位。
遠い外国にいて、日本人の声援がまだ珍しかった時代。
私の肩に座って、日の丸を振って応援していた息子に、彼は入賞記念のマスコットをくれました。
その時のかれの苦笑いしていた表情から、おそらくこの結果に満足はしていなかったと思います。
でも、どうしたら1cmでも遠くへ飛ぶことができるかを追求することへの喜びがなければ、ここまで選手生活を続けることはなかったでしょう。
近年、オリンピックでメダルを取りましたが、それでも消えることのない追求心。
今でも現役を貫く彼がレジェンドと言われる理由は、彼の心の中にある喜びをもって完璧を目指す姿勢にあると思っています。
要は、その心の在り方ですね。
テニスの錦織圭選手もインタビューで言っています。
自分はかなりの完璧主義者だと・・・。
試合中でも、自分の納得のいくポイントが取れるとどんどん彼のプレーがよくなっていきます。
心の中で喜びを感じていることが伝わってきます。
完璧主義であることがさも悪いことのように書かれている記事をよく目にします。
私は、完璧主義であっていいと思います。
ただし、そこに心配や不安を取り込む必要はありません。
喜びに満ち溢れた完璧主義なら、好ましいと思えませんか。
私は、皆さんには、今目指して取り組んでいることに喜びとともに向き合うことを大事にしていただければと思っています。