私は、非指示的という言葉は、
言葉としてのニュアンスが強すぎるのではないか。
その言葉の意味だけが独り歩きしすぎているのではないか。
と考えます。
Non-Directive Counseling(非指示的カウンセリング)は、そもそもがカウンセリングの単語の前に否定形がついている言葉。
*彼は、後にPerson Centered Approach(来談者中心療法)と改名しています。
彼が提唱する非指示的の意味を指示してはいけないと考え過ぎると、カウンセラーの活動に制限を持ち込む落とし穴があることがお分かりいただけるものと思います。
心理学講座で学んだと思いますが、ロジャースが提唱した「受容・共感・自己一致」を大切にしている人は、彼がいかにしてそこに到達したかも学んでみることをお勧めします。
カールロジャースは大学卒業後、数年間プロテスタントの神父として人々に説法をしました。その経験から、ある物事を人の心に落とし込むためには、一方的に話すだけでは物足りないと感じます。
また、彼は、児童相談所に相談員としても勤めています。自分が相談に乗った少年が、出所後に非行を繰り返すことから、人の行動を変えるには、心の内面理解が欠かせないと考えるようになります。
そうして、彼の思いは、非指示的カウンセリング、来談者中心療法に到達していくわけです。
つまり、
彼の理論には経験の積み重ねがある
ということ。
実は、私も、非指示的カウンセリングにこだわるあまり、ゴールへ誘導することに対してためらいを感じ、初期の頃は、ただひたすら受容しながら傾聴していたことがありました。
こういうスタイルの心理カウンセリングは、こんな結末を生み出しました。
これらの犠牲になるのは、クライエント様です。
お金を払い、治りもしないカウンセリングを延々と受け続け、しかも変容することがない。
はっきりいって、お金も時間も無駄遣いです。
非指示的を間違って受け取ると心理カウンセリングの現場では不都合だらけなことがお分かりいただけると思います。
このとき、
と考える人は、それは言い訳に過ぎないことを悟りましょう。
そういう言い訳をしながら、長い間クライエントをカウンセリングに通わせ続けているカウンセラーを何人も私は知っています。
事前に高額な回数チケットを購入させる手口のカウンセリングによくありがちです。
そもそも、大学の研究室、臨床研究の現場、公的機関で給料をもらいながらカウンセリングを行う人たちは、時間の概念が薄いと思って間違いなし。
何か月かかっても良い。
いつかは良くなる。
そんな構えでは、職業としてのカウンセリング業は成り立ちません。
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